致命的な暴力

日本人だという理由だけで嫌な目にあったり 朝鮮人だという理由だけで強制的に連行されたり 中国人だという理由だけで嫌われたり ユダヤ人だという理由だけで殺害されたり クルド人だという理由だけで弾圧されたり アフリカ系アメリカ人だという理由だけで差別されたり 日系アメリカ人だという理由だけで収容所に入れられたり そんなことがあまりにもたくさんあって 私たちは鈍感になってしまった ユダヤ人だという理由だけで子供達を虐殺するのは 戦闘に参加している編集者たちを虐殺するよりも卑劣だとか 日本人だという理由だけで住んでいる人みんなを原爆で殺すのは 戦闘に参加している医療従事者たちを殺すより道義に反するというように ああして殺すのはこうして殺すより悪いというのは絶対におかしい 殺しは殺しだ 戦場で人を殺すのは戦争だからといって許される それだけでなく英雄になったりもする 立て籠もり犯を殺すのは人質を守るためだといって正当化される そればかりか人質の生命を守ったといって褒められる 死刑を執行するのは法律に従って出された判決に従っただけだという 法務大臣はよく署名したと称えられる どの場合にも 殺人はいけないという声は消される 殺人は人の本能だという人もいる でも人が群れを作るようになる前は 私たちはそんなに殺人をしなかった 人間は群れになり 村を築き 部族で暮らし 国という人為的な集団を作った そういう変化によって殺人率は大きく上昇し 人は殺人をする種に変貌した 人が多くなりすぎて 殺さなければ生きていけなくなってしまった 同類を殺し同種を殺し同族を殺す 人が人を殺す 殺す種 それが現代の人間だ 暴力をむき出しにしてしまった人間が集まり 攻撃的な人を指導者として殺し合う それを悲しいと思ってはいけないのだろうか 殺しは殺しだ そして 差別は差別だ